東京高等裁判所 平成2年(ネ)2635号 判決
理由
二 法七八条一項に基づく損失補償請求
1 本件建物の除却に伴う法七八条一項に基づく損失補償金の支払いについて、控訴人らが法七三条三項に定める収用委員会への裁決の申請をしていないことは、当事者間に争いがない。
2 法七八条一項に基づく請求について、同条三項が準用する法七三条二項及び三項の規定によれば、法七八条一項に基づく損失補償の請求については、まず損失を与えたものと損失を受けた者とが協議しなければならず、右協議が成立しない場合は、当事者は、収用委員会に土地収用法九四条二項の規定による裁決を申請することができるものとされている。しかして同条九項によれば、申請の結果収用委員会の裁決に不服がある者は、裁決書の正本の送達を受けた日から六〇日以内に裁判所に訴えを提起しなければならないと規定し、その訴えの提起を制限している趣旨に鑑みると、協議が成立しない場合、収用委員会に対する裁決の申請をせずに、右損失補償について訴えを直ちに提起できることができるものではなく、右の裁決を経た後にこれを提起することができるものというべきである。
3 控訴人らは、収用委員会への裁決申請は、損失補償請求権が発生していることを前提にして、その補償金の額に争いがある場合に、それを審理裁定するものであるところ、本件の場合、被控訴人は控訴人らの損失補償請求権の発生自体を争っているものであるから、裁決を申請する必要性はないと主張する。しかし、収用委員会の裁決事項について、右のように制限する規定はないから、損失補償請求権の存否についてもその審査の対象となるものと解することができる。
また、控訴人らは、収用委員会への裁決申請は、法七三条二項の協議が成立しない場合にできるのであるが、本件の場合、被控訴人は、右協議をしなければならない法律上の義務はないとして控訴人らを門前払いし、すべて拒否しているから、控訴人らにおいて同条三項の裁決申請をすることが不可能であると主張する。しかし、法七三条三項に規定する「協議が成立しない場合」とは、協議をしたが成立しなかった場合のほか、協議の申入れに対して相手方が協議自体に応じない場合も含まれるというべきであるから、本件が裁決手続を経ることが不可能な場合であるということはできない。
そうすると、法七八条一項に基づく損失補償請求は、収用委員会の裁決を経ないで提起されたものであり、すでにこの点において理由がないというべきである。
4 また、法七七条二項は、建築物等の所有者等に対して施行者が相当の期限を定めてその期限後に建築物等を移転又は除却する旨を通知するとともに、その指定の期限までに所有者自らが移転又は除却する意思があるかを照会するものであり、右「通知」と切り離された意味での「照会」の存在する余地はなく、法七八条一項は、右通知を前提とした照会を受けた者が、自ら移転又は除却する場合の規定と解することができる。したがって、前記一の4及び5で認定した被控訴人の控訴人らに対する各行為が法七八条一項に定める「照会」に当たらないことは明らかである。
控訴人らは、損失補償請求権発生の実質要件は、被控訴人による仮換地指定の通知処分により、地権者が従前の宅地の使用収益権を喪失し、建物移転の法的義務を負担した場合の建物の除却移転であり、照会は、円滑な建物移転のための形式的要件にすぎず、仮にそれを欠いたとしても、実質要件を充足している本件損失補償請求権発生の効力は左右されないと主張する。
しかし、法七七条一項は、仮換地指定がなされた場合で、さらに建築物等の移転又は除却が必要となったときに、その建築物等の移転又は除却義務を発生させることができるとするものであり、仮換地指定によって直ちに建築物等の移転又は除却の義務が発生するものではない。したがって、仮換地指定によって損失補償請求権発生の実質要件が充たされ、法七八条一項の照会は形式的要件にすぎないと解することはできない。
よって、法七七条二項の照会を欠く本件において、控訴人らに損失補償請求権が発生しているということもできない。
そうすると、控訴人らの損失補償請求は、この点からも理由がないことになる。
三 私法上の損失補償契約に基づく請求
1 前記一4及び5の認定事実によれば、被控訴人は、控訴人X2に対し、損失補償金の概算額を告げ、損失補償金の協議に必要な委任状の用紙や、本件事業のため国の施越承認が得られた建物等が移転対象となったときは移転を承諾する旨の承諾書用紙を交付し、控訴人ら及び相続人間の取りまとめを要請したことが認められる。
しかしながら、前記一認定の事実によれば、被控訴人は、本件建物の除却に伴う損失補償について、控訴人ら及び他の相続人が委任した秋治の相続人の代表者との間で契約書を取り交わして私法上の損失補償契約を締結する方針で臨んでいたこと、控訴人X2に交付された「建物移転の補償について」と題する書面にも前記承諾書用紙にも正式契約の締結が必要であることが記載されていること、控訴人X2に告げられた補償金額は概算額にすぎず、協議が成立した後にあらためて金額を確定して契約書を取り交すこととなっており、このことは控訴人X2も承知していたことなどが認められる。
これらの事実によれば、控訴人X2に対する前記一4及び5で認定の被控訴人の行為は、損失補償契約締結についての準備段階の行為に過ぎず、具体的な契約締結申込みの意思表示と認めることはできない。
2 したがって、その余の点(事後的承諾)について判断するまでもなく、控訴人らの右主張は採用できない。
四 不法行為による損害賠償請求について
1 前記一認定の事実によれば、控訴人X2は、自己の参画する共同ビル建設事業の進捗を図る必要から、自ら進んで本件建物を取り壊したものであり、これに対し、被控訴人の担当者Gは、控訴人X2に損失補償契約締結前に本件建物を取り壊すと、その損失補償金が支払われないことになることを告げていること、本件土地が属する第三街区は、地元の地権者の合意で、共同ビルが主体になった事業を進めていたので、同街区内の建物の移転除却についても、話合いで解決することを基本にしていたため、被控訴人は強制的な施行の前提となる法七七条二項の移転等の照会は原則として行わないこととしていたこと、本件土地は、共同ビルの地権者の要望で、法八九条に定める照応の原則からはずれるような短冊型の仮換地を行っていたため、仮換地先への移転は事実上困難であり、移転を前提とした照会は考えられなかったことが認められる。
そうだとすると、被控訴人が私法上の損失補償契約による移転等の交渉を進めていたことは適法であり、法七七条二項に基づく照会をすべき義務があったものとは認められない。
そうすると、控訴人X2が本件建物を除却しながら損失補償請求権を取得することができなかったことについて、被控訴人に違法な行為があったものとは認められない。
2 よって、控訴人らの右主張も採用できない。
五 不当利得返還請求について
1 以上の説示したところによれば、被控訴人において、控訴人ら及び他の相続人に対し、本件建物の除却に関する損失補償金を支払うべき法律上の義務が発生していたことは認められないから、控訴人X2が本件建物を除却したことによって、被控訴人がその補償金相当額を利得したものということはできない。
2 なお、控訴人らは、被控訴人は、本件建物につき、法七八条の損失補償に対する法一二一条の補助金を国に申請し、その交付を受けてこれを不当に利得していると主張するが、証拠<省略>によれば、被控訴人は、本件建物については、法一二一条の補助金を国から受領していないことが認められる。
3 よって、控訴人らの右主張も理由がない。
六 不法行為に基づく慰謝料請求
右の二ないし五の理由説示のとおり、本件建物の除却に伴い控訴人らに生じたその主張にかかる損害について、損失補償、損害賠償及び不当利得の名目を問わず、被控訴人が控訴人らに対して支払うべき義務があることは認められない。したがって、右金員を支払わなかったことが不法行為を構成するとして請求する慰謝料請求は理由がない。
七 よって、当裁判所の右判断と同旨の原判決は相当であり、本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用は控訴人らに負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 櫻井文夫 裁判官 渡邊等 柴田寛之)